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杜 氏(と し、生没年不詳)は、中国後漢末期の女性。秦宜禄の前妻。後に曹操の側室。子は秦朗・曹林・曹袞・金郷公主(何晏夫人)。 建安3年(198年)、曹操が下邳に立て篭もる呂布を包囲すると、秦宜禄は呂布の使者として袁術の下へ救援要請に赴いたが、その先で袁術によって滅ぼされた陳湣王の劉寵の娘と強引に結婚させられた。 当時、曹操陣営の客将だった劉備の腹心関羽が、曹操に対し下邳に留まっていた「杜氏を娶りたい」と願い出たため、曹操もこれを許可した。ところが呂布滅亡後、曹操は杜氏が美人であると知るや、約束を破ってこれを自分の側室にしてしまった。 建安4年(199年)に劉備が小沛で曹操に叛旗を翻すと、その腹心張飛が秦宜禄の下にやって来て「妻を奪い取った男に仕えるのは愚かなことだ。私について来い」と勧誘した。前夫の秦宜禄も最初は受諾したが、すぐに後悔して張飛に「帰りたい」と願い出たため、怒った張飛に殺されてしまった。 曹操の側室となった杜氏はその後、曹操の寵愛を受け、皇后に次ぐ序列である「夫人」に列せられた。 杜氏には、秦宜禄との間に儲けていた子どもが1人いた。秦朗という名で、連れ子にも関わらず曹操に大層可愛がられた。また曹叡(明帝)の時代にも重用されたが、曹叡の死後に失脚した。その子秦秀は『晋書』に名を残している。 また秦朗以外にも、杜氏は曹操との間に曹林・曹袞・金郷公主を授かった。杜氏自身も、沛王となった曹林の母ということで「沛王太妃」と呼ばれ、一定の権勢を誇った。 なお、小説『三国志演義』には登場しない。 == 参考文献 == *『三国志』魏書3明帝紀 *蜀書6関羽伝 *『晋書』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜氏 (三国時代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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